1950年に実際に起きた、金閣寺の放火事件を元に三島由紀夫氏が創作した物語。 私的な読みどころは、 とにかく美しい日本語による描写の数々 です。 クセの強い一人の人間が見た「世界」を、これまたアクの強い視点で完膚なきまでに描ききる言葉の表現が素晴らし … 三島由紀夫の晩年の小説なんか恥知らずってレベルって評価やろ 金閣寺あたりの代表格も構成力がなかなか酷い つかこの辺りのことはなにより本人が認めてるのに . 私(溝口) 生まれつきの吃音で、引っ込み思案。人生に金閣の美と呪詛がいつも立ちはだかる。 鶴川 溝口と同じ徒弟、裕福な寺の子で修行に金閣へ、私(溝口)の良き理解者である。 柏木 大谷大学で知り合った内反足の障害を持つ男で、女扱いに詐欺師的な巧みを持つ。 田山道詮和尚(老師) 金閣の住職で、溝口の父とは起居を共にした禅堂の友人で私を徒弟として預かる。 三島は『金閣寺』刊行から約2年半後、〈やつと私は、自分の気質を完全に利用して、それを思想に晶化させようとする試みに安心して立戻り、それは曲がりなりにも成功して〉と述べており 、『仮面の告白』同様、『金閣寺』でも、自らのこれまでの気質や、実人生と相反する美学を克服し、次の段階を志向していた作品と見られている 。 その対比がとても新鮮でした。 歴史考察; 古代生物 ; 古代文明・国家 ... 三島由紀夫さんの日本一美しいとされる文章がこちら、これは紛れもない天才ですわ・・・ 2020年11月15日 ... 金閣寺と人間をくらべてんのバ っぽくてウケw . 三島好き、谷崎好きの方はぜひ! というわけでこの際、『金閣寺』から読まなくてもいいというコンセプトで、「新しい三島由紀夫」をオススメしたい!! なぜなら三島こそ、 純文学に極上のエンタメ性を 融合させた〈物語作家〉だから!! 三島由紀夫『金閣寺』の評価と発表当時の時代背景. 『金閣を焼かなければならぬ』 三島由紀夫『金閣寺』第七章の最後の一文である。物語も佳境に入る。めげずに読んでいこう。 第一章から読みたい方はこちらから 前回の第六章はこちらから 第六章の振り返り 第六章を簡単に振り返ろう。 ご安心を。, 由良の日本海のところの解説、面白かったです。溝口の内面が海と共にみるみる荒涼として行くのが伝わってきます。次回も楽しみにしています. https://note.com/tetsujimizuishi/n/n85805e6ba455, 今回も南泉斬猫のところ、面白かったです溝口と柏木の間には、金閣が聳え立って2人を隔てていますね。. 1925年生まれの小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家で、ノーベル文学賞候補になるなど日本語の枠を超え、海外においても広く認められた作家とされています。 代表作は『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『鏡子の家』『憂国』『豊饒の海』などがあり、煌びやかで詩的に富んだ美しい文章を書く作家です。 一方で三島由紀夫というと、自衛隊市谷駐屯地で割腹自殺を遂げた政治的な印象が強く偏ったイメージもあるか … 三島由紀夫/金閣寺 『美』、一体化への憧憬。 独自性に包まれ、虚無とさえ連帯感を持たない僕の精神、それは金閣の美(の構造)と対照的で…。 世を覆う認識に、無力ではない境(狂)地。 永遠・生は、読者の目によって決まるもののように感じました。 長かったですね。 『金閣寺』の続きは仕上がっておりますので、今日中に上げておきます。 三島由紀夫「金閣寺」のあらすじを簡単にご紹介します。物語は、金閣寺の美しさに惹かれる主人公の告白を綴っていく形で進みます。貧しい寺で生まれた溝口は、僧侶である父から金閣寺ほど美しい物はないと繰り返し聞かされて育ちます。 溝口も徐々に闇に染まっていく。三島由紀夫『金閣寺』第六章を読んでいこう。 三島由紀夫『金閣寺』第一章から読みたい方はこちらから 前回の第五章はこちらから 第五章を振り返る 第五章の内容を箇条書きにして、まとめておいた。 記事が遅れてしまい申し訳ございません。 作家の三島由紀夫が自決してから50年となる25日、三島らを追悼する「憂国忌」が東京都内で営まれた。交流のあった人々やファンら約300人が参加。 三島 由紀夫『金閣寺』の感想・レビュー一覧です。ネタバレを含む感想・レビューは、ネタバレフィルターがあるので安心。読書メーターに投稿された約2745件 の感想・レビューで本の評判を確認、読書記録を管理することもできます。 言葉にならない想いが、美しく克明な日本語で。なんか安心した。 この記事では、三島由紀夫の『仮面の告白』『金閣寺』について熱く語ります。まだ読んでない方も、もう読んだ方にも。とくに『仮面の告白』について、作中の文章を引用しながら、彼の文章がいかに優れている 第六章ができています↓ Amazonで由紀夫, 三島の金閣寺 (新潮文庫)。アマゾンならポイント還元本が多数。由紀夫, 三島作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。また金閣寺 (新潮文庫)もアマゾン配送商品なら通常配送無料。 まだまだこれからも長くなりますが、よろしくお願いいたします。 三島由紀夫『金閣寺』第七章の最後の一文である。物語も佳境に入る。めげずに読んでいこう。, 第六章を簡単に振り返ろう。文化的な面を見せる柏木(尺八が吹けるなんて!)と、第二章で出てきた将校の妻の没落ぶりに驚いた。また、溝口は柏木と『南泉斬猫』について語り合う。このとき柏木に予言される。「おまえは南泉和尚になるのだ」と。, そして第六章の最後、「いつかきっとお前を支配してやる。」と言い放つ。溝口は金閣に対して言い放つ。これから溝口はどうするのだろうか。, 第七章の最後、溝口はついに金閣を燃やすことを決意する。ついに燃やす以外の道を断たれてしまう。溝口は老師の女遊びを目撃してしまう。そしてそれをつついてしまう。すると老師から、お前を金閣の跡取りにするつもりはないと告げられたのだ。生きることとは、可能性を絶つことなのかもしれない。そう思わされる。, 第七章の冒頭から、溝口の難解な独白が始まる。溝口は運命の予感を覚えるのだという。将来なぞ分かりようがないはずなのに、なぜか自身の結末がおぼろげにでも分かるのだという。, ○ 前代未聞の未来へ往くことを確信する溝口 溝口は金閣以外にさほど興味を持ってこなかった。自分には何が残るだろうか? たぶん印象に残っている断片的な記憶の無意味な、法則性のないつながりしか残らないだろうと主張する。, 〈三途の川の渡し船に乗りながら、過去を回想するようなイメージである。穏やかな水面を想像してもらえるとなお良い。(そう言われても、大抵の人は想像できないと思うが。), 溝口の中でどのようなことが印象に残っていたのだろうか? 作中では語られない部分であるが、問うてみる価値がありそうだ。, 有為子の死、父親の死、母親の不倫、将校夫婦の見送りの儀、南泉斬猫の講話、柏木との出会い、鶴川の死、狂人には用をなさない金閣の立て看板、戦時中の美しい金閣寺……。本当に色々なことがあった。〉, この断片的な記憶群をジグソーパズルのように集めていったら、何か意味を持つのだろうか? 意味を持つらしいし、持たないらしい。そこから何らの法則性を見出すことはできないのだが、記憶の断片の全体図からほのかに未来が暗示されているというのだ。, 決して幸福とは言えない未来が暗示されている。しかも常識的とは言えない未来だ。溝口はその未来に行きつくことを確信してしまった。逃れられない。, ○ 金閣と音楽 溝口も尺八が上手くなった。金閣のほとりで「御所車」という曲を吹いた。そして、こんなことを思っていた。, 音楽は夢幻と覚醒とを切り替えるスイッチである。溝口はそのように主張する。以前、柏木の演奏を聴きながら、金閣を眺めたことがあった。そのときだけは、頭の中に描かれた、あの美しい金閣が戻ってきたような気がしていた。覚醒から夢幻に切り替わったのだ。さて、今回はどうか?, 今回は夢幻から覚醒に切り替わってしまったらしい。つまり、音楽には興醒め、ということになってしまったのだ。溝口はこの理由も語っている。, 彼に一度も幸福を許してこなかった金閣が、なぜ音楽を奏でているときに限って、幸福になることを許したのか。溝口はこれを金閣の裏切りであると捉える。そして音楽が金閣の例外となったために、興醒めしたのだ。音楽も金閣の仲間だった。偽物の、無機質な、刹那的な美でしかない。生物とは違うのだ。溝口はそう感じていた。, 溝口は老師が芸妓(げいき)を伴っているのを目撃してしまった。これが直接的な不幸の始まりであった。老師のスキャンダルであるはずなのに、かえって溝口が不利な立場に立たされた。しまいには、お前に金閣寺を継がせないとまで言われてしまうのだ。, ○ 老師を見かける 上等なコートとマフラーを着た老師を見かけてしまう。そして明らかに芸妓を連れている。, ○ 黒い犬の話 溝口はみすぼらしい黒い犬に導かれる。不幸への道に。これもある種象徴的な出来事である。, この犬は痛ましい見た目をしている。きらびやかな繁華街と対比されながら。溝口はそこに惹かれたのである。, 〈この犬は何なのだろうか? いくらでも解釈が浮かんできてしまって、かえってピンと来ない。すぐさま思いつくのは、ポーの『黒猫』のようなものか。あるいはこの犬は溝口自身を表しているのかもしれない。, 三島は視覚にこだわる。何事をも隈なく見てしまう。その一方で、この黒い犬は片目だけ見えていない。両目で見るのは、現実と空想である。しかるに、片目だけつぶれてしまうと、そのどちらかが見えなくなる。, この状況は、現実の見えていない溝口の状況と合致する。しかしもっと多様な解釈があり得るのではないかとも思う。この犬に関してはもう一度、注意して読みたいところ。〉, ○ 老師と鉢合わせ 犬に導かれたところで、老師と鉢合わせてしまう。しかも老師は芸妓を連れ立っていた。溝口の気が動転するのも無理はない。しかし、そこで溝口は笑ってしまう。何をすればいいのか見当がつかなくなって、笑ってしまうのだ。, このような状況で、溝口は自分の師匠とは何かを考察するようになる。別の寺の住持の葬儀に老師と向かったときのこと。禅宗において、個人の判断で弟子が師匠を決めていた時代があったという話を思い出して、自分の師匠とは誰なのかを自問自答する。, ○ 弱みを握る 溝口は老師に対して動物的な印象を抱いていた。老師の無表情の日常以外に想像がつかないのだ。老師が唯一感情を露わにしたのが、「馬鹿者! わしを追跡ける気か」と言ったときのみである。, ここで溝口は触れてはならない誘惑に駆られる。老師の憎悪の顔を見て見たいと思ってしまう。もしこれを実行すれば、金閣の住職になれないことは分かっている。しかし溝口は仕掛けた。, 溝口は老師が連れ立っていた芸妓の写真を手に入れる。それを老師に届ける朝刊の間に忍ばせておくのだ。, 老師をゆすった溝口であったが、彼は別の原因で怒られることになる。成績不振、不登校、接心(坐禅の会)への不参加を叱責されたのだ。溝口はそこに老師の偽善ぶりを感じる。, 溝口はほぼ家出に近い、長期の旅行をすることに決める。逃走。しがらみからの逃走。現実からの逃走。金閣からの逃走。逃走をせざるをえなくなったのだ。, 溝口は柏木に借金を申し込む。柏木は尺八と仏教事典を売って、なんとか金をつくってから、借りに来いと言う。溝口はそれらを五百円で売り払い、柏木から二千五百円を借りる。さあ、旅に出てしまおう。, と、その前に建勲(たけいさお)神社に寄って、御みくじをひいて、旅先を決めようとする。その結果やいかに。出てきた棒は十四番。凶。西北に向かうと良くないということが書かれていた。, 〈ちなみに、この十四という数字に何かしらの意味があるのだろうか? 私は寡聞にして、その意味を思いつかない。コメント欄で指摘してくださると助かります。〉, 溝口は敦賀(つるが)行の朝一の車両に乗る。金閣に別れを告げる。溝口には高揚感があった。このあたりの風景描写は本当に美しい。そこを掘り下げてみよう。, 〈溝口が京都から出ていなかったことの証左である。この時期はまだ蒸気機関車が廃れていないはずだ。〉, 汽車は霧の中の保津峡を渡る。霧は暗中模索の霧。溝口の心の迷いを表している。汽車はその霧をかきわけて、どこへ往くのか。, 汽車は西舞鶴駅に着く。溝口はそこで降りる。故郷である。しかしすべては変わっていた。, 〈溝口の故郷は味気ないものになってしまった。戦後の虚無、コンクリートと鉄の墓場。そのようなイメージである。そこには有為子もいなければ、若々しい青年もなく、父親もいない。不毛な大地につながっている海と、鉄とコンクリートの墓場があるのみだ。〉, もう霧はない。荒々しい虚無の海、人間からたちまち生命力を奪ってしまう海。この海そのものが溝口の本音である。, まさに逆境! しかし溝口は逆境としか仲良くなれない。ついぞ平穏と友達になることができなかった。そして突如としてこう思うのだ。, 溝口が舞鶴へと戻っていくシーンは必見である。呑み込まれてしまうほどに風景描写が美しい。情景描写としても機能的であるし、筆致も巧みだ。この点については、何度でも主張しておきたい。, 第七章の話もこんなに長くなってしまったが、実は取り上げていないエピソードもたくさんある。第十章まで書き終えたら、補足として書いてみてもいいかもしれない。, iotoqさんに記事を紹介していただきました。 ありがとうございます。 iotoqさんの記事では三島の「目」と谷崎の「耳」について論じています。 金閣寺読んでたら気持ち悪くなってきたからやめた … Amazonで三島 由紀夫の午後の曳航 (新潮文庫)。アマゾンならポイント還元本が多数。三島 由紀夫作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。また午後の曳航 (新潮文庫)もアマゾン配送商品なら通常 … 14: 2020/02/27(木) 18:17:27.465 ID:lLz0BrrL0. 三島由紀夫の代表作『金閣寺』 『金閣寺』は、1950年におきた金閣寺放火事件を下敷きにしたフィクションです。三島の最も成功した代表作というだけでなく、近代日本文学を代表する傑作の一つと見なされ、海外でも評価が高い作品でもあります。 私:主人公。生まれつき吃音(きつおん。どもること)を持っているせいで、消極的な性格で、社会になじめていない。 有為子(ういこ):裕福な家の美しい娘。主人公に女性への苦手意識を芽生えさせた。 鶴川(つるかわ):主人公と同じく、金閣寺で修業をする青年。吃音を持つ主人公と仲良くしてくれる唯一の存在。 柏木(かしわぎ):主人公の大学の友人。内反足(足が異常に曲がる障害)の持ち主だが、それを利用して多くの女性をもてあそんでいる。 『金閣寺』の読みどころ. 第五章の内容を箇条書きにして、まとめておいた。前回の内容で忘れている部分があれば、ここを参照してほしい。, 第四章・第五章では、一種ほれぼれするような狡猾さを見せていた柏木であった。しかし、第六章では、そんな柏木も文化的な面を見せる。(狡猾であることと文化的であることが排反という訳ではないが。), 一方で、金閣と自身が相容れないことに気づいてしまった溝口は、さらに隘路(あいろ)にはまっていく。人生を見つけようとするたびに、金閣が現れるようになっていくのだ。, 鶴川が亡くなってから、溝口の日常もまた死んでいた。意識の城塞に閉じこもり、他者との壁はますます高くなった。これと同時に、彼は翻訳物の小説や哲学書を読み漁るようになった。, 〈溝口が舶来の小説や哲学書を読み漁るようになったという描写には注意したい。この作品を十分に理解するためには、仏教の知識だけでは足りないということを示唆している。〉, そんな溝口は、孤独を抱え込んでおり、どうも危なっかしく見える。しかし彼は、明晰さこそ自己であると主張する。, 〈この部分の解釈は持て余している部分がある。記号論理学によって関係を整理できそうに見えて、実はそうではないと感じる。残念ながら私はこの部分を考察しきれていないので、ここでは取り上げない。〉, 〈このような感想を抱いている溝口に危うさを感じる。そもそもこのような立て看板に意識が向くようになった時点で、法を犯すことに対して関心が向き始めているのではないか。以前の溝口にとって、全く関心の的ではなかったはずだ。〉, 柏木は溝口に尺八を贈るために会いに来た。そして美しい月夜の日に、金閣で尺八を吹きたいのだという。, 柏木がこのような文化的な側面を持っていたということは、溝口にとっても驚愕すべきことであるらしい。また溝口は、柏木の美に関する考察が自分のものよりもはるかに精緻だったことを発見する。(しかもそれを、言葉によってではなく、演奏によってまざまざと見せつけられたのだ。), さらに、溝口は柏木と親しくなるにつれて、自身の美に対する考察も深めていった。まず、柏木が永続する美を嫌っていることを見抜いた。次に、溝口は音楽の美、刹那的で無機的な美を発見するに至った。最後に彼は、柏木は美の無益さを愛でているのだと理解した。, 溝口は柏木から尺八を貰った。溝口はそのお礼をしなければならないと考えた。そこで柏木にお返しに何が欲しいのかと尋ねる。柏木は花が欲しいと答えた。生け花のための花が欲しいと答えたのだ。溝口はそれを聞くと、金閣の花を摘み取り、柏木に贈った。, ○ 南泉斬猫の柏木なりの解釈 第三章を思い出そう。『南泉斬猫』とは、このような話であった。, 《南泉斬猫の公案》ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 南泉和尚が勤める山寺に、一匹の仔猫が現れた。これを自分たちのペットにしようと、寺の東西に分かれて所有権を争った。(寺を二分してしまうほど、可愛らしい仔猫であったようだ。), 誰かがひとこと発すれば、この仔猫は救ってやろうというのだ。しかし、誰も何も言わなかったので、南泉和尚は仔猫を斬り捨てた。, さて、夕刻になると、優秀な弟子である趙州が帰ってきた。南泉和尚は趙州にこの話を聞かせ、趙州に意見を求めた。すると趙州は履いていた履(くつ)を脱いで、己の頭上に乗せ、出ていった。そして和尚は嘆きながら、, と言ったのだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー, 『南泉斬猫』は柏木にとっても印象深い公案らしい。人生の様々な局面でこの話が思い出されるというのだ。彼はこの話の中の猫に注目する。正確には猫の美に。この『南泉斬猫』に関する柏木の語りは作中屈指の名シーンである。最も味わい深い柏木の台詞を示そう。, 〈美は誰にでも媚びてくるが、誰にも所有できないと言うのだ。しかも美は必ず人の目を惹いてしまう。そこに目を向けずにはいられない。溝口は本当に厄介なものに引っ掛かってしまった。〉, 柏木の名言はさらに続く。猫を斬ったことに関して、柏木はたいへん本質的なことに言及する。, 〈私は、柏木のこの発言こそが『金閣寺』における名台詞であると考えている。溝口の将来を暗示しているからだ。溝口は金閣寺を燃やしても決して報われないのではないか、この発言を聞くとそのような予感が生れてくる。溝口はイデアの中の金閣寺を殺さねばならない。しかし、それは決して殺せない。〉, 溝口はこの柏木の発言を怖れた。当然である。溝口の心の奥底の懸念を無抜いてきたのだ。しかも、溝口の問題は決して解決されないということまで、柏木は予言してきた。, 〈この時点においては、柏木は美を嫌っている。つまり南泉側である。一方で、溝口は金閣の美に翻弄されているものの、何か手を打つわけではない。これは趙州的な戦略である。, しかし柏木はこの立場が逆転するのではないかと予言する。読者は唾をのまずにはいられない。いずれ溝口は金閣を燃やす。カタストロフは忍び足で迫ってくる。〉, ○ 柏木の生け花の師匠=将校の妻 柏木は生け花の師匠について語る。そこで驚愕の事実が明かされる。柏木の生け花の師匠は、なんと第二章末で登場した将校の妻であったのだ。さらに前の第五章において、将校である夫は戦死し、子どもも死産であったことが明かされた。, 今までに出された情報もなかなか衝撃的であるが、柏木はさらに衝撃的なことを語る。この女性は男道楽が止まないというのだ。, 話しているうちに、件の女性がやってきた。柏木は溝口の心情を察して、悪役を演じながら帰ってしまった。残ったのは、その女性と溝口のみである。, 女性は当時のことを思いだし、涙する。屈辱的な今日から、耽美的なあのときへ。興奮とともに、狂気へ堕ちていく。, 〈女性は青春の亡霊になってしまった。女性と溝口の二人で青春の残り香を出し合って、それを麻薬のように吸引している。そこには当然、底知れぬ狂喜がやってくる。しかし、それが終われば待っているのは退廃である。〉, 女性は溝口に乳房を見せる。ずっと見つめていたら、女の乳房が乳房に見えなくなってくる。ゲシュタルト崩壊! そこから不思議なことが起きる。美がやってくる。美がやっとやってくる。, かくして、また金閣に邪魔された。溝口は金閣に自分の人生を歩むことを邪魔されたのである。溝口は金閣と対峙する。, 〈この時点ではまだ逃げ道がある。金閣寺の住職になってしまえば、金閣を支配できる。はたして溝口はその道を辿れるのだろうか。〉, この話題を第六章の時点で取り上げるのはやや憚られるが、語りたいことがある。それは金閣は何の象徴であるのか、ということだ。(本来は作品全部を読み終えた後に議論するべきかもしれない。)よく、この作品に出てくる金閣は、天皇を象徴しているのだと語られることが多い。, 私はその見方を否定はしないものの、正確ではないと思っている。金閣は天皇制を中核とした(三島の)青春の複合体を表しているのではないか、私はそのように考えているのだ。, 戦前から戦後にかけて、この作品では失われるものが非常に多い。父権、風雅な恋愛、有為子、将校、胎児、友人、忠誠、倫理……。その一方で、作中において何かを失った人々はとても醜く描写されている。今回取り上げた将校の妻もその一例にあたる。, しかし、金閣はそのようなことに少しも頓着しない。金閣は市井の悲哀を逃れて、ただ屹立している。この金閣だけは戦前から残っているのだ。溝口は戦前の麗しいものと決別するために、戦前から残る金閣を燃やしたのではないか。私はそのように解釈している。, 『金閣寺』の感想文もいよいよ中間地点を超えました。 32: 2020/09/25(金) 16:24:55.66 ID:tQ3xBZT50 >>29 楯の会の金が必要やったからな . 今回は三島由紀夫が起こした三島事件について調べていきます。この事件は今現在も関心を持っている人が多い事件で謎めいた部分もありますが、僕なりの解釈をお伝えしていきますので最後までご覧いただければと思います。ということで早速書いていきます。 また皆様のことも順次フォローしていきたいと思います。 https://twitter.com/TetsujiMizuishi 三島由紀夫は雑誌『文芸』(昭和32年1月)での批評家・小林秀雄との対談で「美という固定観念に追い詰められた男というのを、ぼくはあの中で芸術家の象徴みたいなつもりで書いた」と話しています。 75: 2020/09/25(金) 16:30:37.39 ID:c9W9b1lfp >>32 https://note.com/miotoq_qq/n/nbc281b1a2117, Twitterはじめました。フォローお待ちしております。