2018年8月29日(水), 平成とは「仮想」も「虚構」も「非日常」も全てが「現実」であることが暴露され尽くした時代であった。例えば紙幣や硬貨から預金通帳の数字、電子マネーから仮想通貨へと到達した貨幣はゲーム的な「仮想」が「現実」であることを露呈した。またポスト・トゥルースと呼ばれる現象は対象が嘘か事実かに関わりなく、感情的な基準と解釈によって真実が生まれてしまう状態、つまり「虚構」が「現実」になる状態を生み出した。他にもポピュリズムや反知性主義といった思想は、エリート主義や知識人の主張を「非日常」的で大衆の「現実」を理解しない者たちの戯れ言と位置付け、それらに対するカウンターとして世界を覆い尽くしていった。このように平成における時代の流れは、逃げ場としての「仮想」、「虚構」、「非日常」に対して常に逃げ場のない「現実」がそれらの世界を侵食し尽くしていった流れとして理解することができる。, このような時代に対して宮台真司は「終わりなき日常を生きろ」という「呪詛」を唱えた。「終わりなき日常」とは先程述べた「非日常」の存在しない「現実」の世界のことを指す。宮台の執筆した『終わりなき日常を生きろ:オウム完全克服マニュアル』はサブタイトルを見れば一目瞭然なように、「虚構」に没入した象徴的な存在であるオウム真理教に対する完全克服マニュアルとして書かれている。しかしその目的とは裏腹に「終わりなき日常を生きろ」という言葉を「呪詛」と表現したのには、三つの理由がある。一つ目は宮台の予見した通り、「終わりなき日常」という地獄に耐えられる人間などほとんど存在しなかったということ。二つ目はこの言葉の実践者、モデルとして描かれていた「ブルセラ女子高生」がまったりではなく、メンヘラ化したこと。三つ目は「神戸連続児童殺傷事件」、「アメリカ同時多発テロ事件」、「東日本大震災」など「終わりなき日常」を根底から揺るがすような事件、震災が起きてしまっていること。これらのことから考えると「終わりなき日常を生きろ」は既に「処方箋」ではなく、「呪詛」になってしまっている。, また大澤真幸はこのような時代を「不可能性の時代」として整理する。大澤はこの時代を「虚構の時代」のような「現実」からの逃避ではなく、「現実」への逃避と極端な「虚構」化として捉え、それらの矛盾する要素が立ち現れた時代として「不可能性の時代」と呼ぶ。ここでは「現実逃避」における逃避の方向性は完全に逆転しており、「虚構」に抑圧されていた力はそのまま暴力的で危険な「現実」として立ち現れることになる。これはどういうことかと言えば、一方では無菌室のように極端に潔癖で「虚構」化した「現実」があることで、もう一方ではそこで抑圧されていた暴力的な「現実」が生まれてしまうということだ。そしてこれらの矛盾する二つの方向は隠蔽された「現実」を暴き出すための異なる方向からのアプローチなのだが、この矛盾は直接認識し、受け入れることができないためにその「現実」は「不可能性」と呼ぶしかない。極端な例で言えば、人間は「リンゴ」であると同時に「モモ」であるという対象があったときに、その矛盾を認識し、許容することはできないが、「現実」にはそのような対象が溢れてしまっている。よってこの時代の人間はその「不可能性」を抱えて生きるしかないということだ。このように宮台の「終わりなき日常を生きろ」も大澤の「不可能性の時代」も平成という時代に対する有効な分析の指標を提示してくれる一方で、無限増殖し続ける「現実」に対する処方箋を提示してくれるわけではない。, ここで平成を元号という観点から捉えてみると、元号は象徴性に満ちていることに気付く。そもそも明治維新以降の日本の元号は「一世一元の制」を採用しており、これは日本においては天皇が退位するまで改元が行われないことを意味する。また第二次世界大戦を経てアメリカ主導で制定された日本国憲法では、「象徴天皇制」が規定されている。「象徴天皇制」とはつまり、天皇は日本国と日本国民の「象徴」であって、従来の天皇における政治的な権限は剥奪、もしくは抑圧されているということだ。ここで「一世一元の制」と「象徴天皇制」を組み合わせて考えてみる。するとそもそも元号は期間の区切りとしては恣意的になる運命を背負っているが、その一方で天皇の即位に対する「象徴」の誕生と天皇の退位に対する「象徴」の消失、またそれらを受け入れる国や国民の受容と共に歩む運命にあることが分かる。よって平成という時代を包括して語るには、「終わりなき日常を生きろ」、「不可能性の時代」で述べられているような「現実」の絶え間ない圧力に対する処方箋を提出すると共に、その内容を「象徴」的に示唆している作品が相応しい。そしてその作品とは『輪るピングドラム』のことである。, 「なあ、だからさ、林檎ってのは、宇宙そのものなんだよ。手のひらに乗る宇宙。こっちの世界と、あっちの世界を繋ぐもの」, 「馬鹿だな、おしまいじゃないよ。むしろ、そこから始まるんだって賢治は言いたいんだ」, 『輪るピングドラム』は宮沢賢治による『銀河鉄道の夜』とオウム真理教による「地下鉄サリン事件」を主な二つの土台として制作されたアニメ作品である。これら二つの本来は結びつかないもの同士が「列車」の比喩で接続されていることからも分かるように、このアニメでは記号が溢れた世界が比喩に比喩を重ねたような表現で描かれている。モブキャラは基本的にピクトグラムで描かれ、「東京スカイメトロ」は銀河鉄道と地下鉄サリン事件の舞台を暗示しており、幾度も描かれる林檎は旧約聖書の『創世記』における禁断の果実を運命の果実ともじったもの、愛の象徴であり、同時に登場人物の荻野目苹果の苹果は『銀河鉄道の夜』にも登場するものである。また偶然か必然かこのアニメの放映時期は「東日本大震災」が起きた年であり、アニメに登場する『かえるくん、東京を救う』という短編小説は村上春樹によって書かれた「阪神・淡路大震災」を題材とした作品である。このように作品を分析していけばそれこそ切りがないが、それは既にやり尽くされていることであり、問題になってくるのはこの作品がどのように平成を象徴し、その問題を解決しているかだ。, まず『輪るピングドラム』では「終わりなき日常」が最初から破綻している。物語の始まりは日常系アニメを偽装するかのように始まるが、最初に高倉家の家族として描かれる冠葉、晶馬、陽毬の3人は実は元々家族ではない。しかも両親である剣山と千江美はカルト信者のテロリストであり、1995年に地下鉄サリン事件に相当する事件を起こしたとされている。さらに復讐者として登場する多蕗桂樹と時籠ゆりは、荻野目桃果という自分に「無償の愛」を注いでくれた存在をその事件によって失っている。このようなテロリストの加害者側と被害者側という存在はその「原罪」を背負って生きているしかない。「終わりなき日常」ではまったり生きることが祝福されているが、その例外的な状態として『輪るピングドラム』では生きることが許されない存在について描かれている。ここでは「日常」が退屈なのではなく、罰を与えること、もしくは与えられることが「日常」であり、苦痛は間違った思想により正当化されてしまう。, 次に「不可能性の時代」について。ゾンビのように襲いかかる「現実」に対抗するためには愛が必要である。その愛について考えるためには、まず『輪るピングドラム』に登場する人物の家庭がことごとく崩壊していることについて考えなければならない。高倉家はテロリストの両親の元で育てられた偽装家族であり、多蕗桂樹と時籠ゆりは両親に精神的、肉体的な虐待を受けた偽装結婚のパートナー同士であり、荻野目苹果の家族は離婚しており、冠葉の実妹である夏芽真砂子の祖父は性格破綻者、父はカルトの一員として組織に利用されて殺されたという徹底ぶりである。つまりここで挙げたような登場人物は全て親からの愛情を受けずに育った子どもである。つまり『輪るピングドラム』は「不可能性」 = 「現実」に立ち向かうために必要な家族の愛を知らずに育った子どもたちの物語と言える。, またこの「不可能性の時代」について一つ思い付くのは、「ポジションを取れ」という新時代における念仏についてだ。「終わりなき日常を生きろ」という呪詛を背負い切れなかった人々は、その「現実」を生き抜く手段として「ポジション」の獲得競争に駆り出される。「ポジション」とは社会的な人間関係やネットワークにおける個人の役割のことだ。その役割を上手く獲得できなかった人々は「透明な存在」として世界の風景から消失してしまう。これは平成に流行したデスゲームと表裏一体の関係にある。何故ならデスゲームとは突き詰めれば「生存戦略」のシミュレーションのことであり、有効な「役割」や「キャラ立ち」がない人物から存在が消失していくゲームのことだからだ。『輪るピングドラム』では「ポジションを取れ」ずに家族からも世界からも必要とされなくなった子どもたちが「こどもブロイラー」という施設に送り込まれ、消されていく様子が比喩的かつ予言的に描かれている。, 最後に『輪るピングドラム』の最重要テーマは「無償の愛」についてだった。物語の終着駅として冠葉と晶馬はその命を犠牲にして陽毬を助け、世界の風景から消失してしまう。この状況は正しく『銀河鉄道の夜』に登場するカンパネルラがザネリを助けるために川に飛び込み、そして忽然と姿を消してしまうシーンと一致する。つまり「無償の愛」と命の鼓動の連鎖が「輪るピングドラム」であり、それが林檎の形として表現されていたわけだ。しかしここで注意したいのは、無償の愛は自己犠牲と表裏一体であるということだ。『ゲンロン0:観光客の哲学』では「村人」と「旅人」に対する第3項として「観光客」が設定されている。しかしその「観光客」とは村という基盤を持った上で旅に出る存在であり、構造的には固定化した思想を持った上で無秩序に世界を破壊する「テロリスト」と表裏一体である。ではその「観光客」と「テロリスト」を分別する要素とは何か。それが「無償の愛」である。「無償の愛」を獲得できたものはそこを安全基地として旅に出る「観光客」になることができる。一方で「無償の愛」を獲得できなかったものは世界が危険地帯として覆われてしまうために、その秩序を破壊する「テロリスト」になるしかない。だからこそ『ゲンロン0:観光客の哲学』の第2部では「家族の哲学」が考えられている。それは『輪るピングドラム』とは違うアプローチ、つまり「家族的な連帯」という制限を通して「無償の愛」とは何かを問い直していると考えられる。そしてその根源を問い直すことでしか、「終わりなき日常を生きろ」、「不可能性の時代」を乗り越えて平成の「現実」を生き抜く術を見出すことはできない。. ⋆この文章は、テレビアニメ「輪るピングドラム」を観終わった方に向けたものです。そして未だこれを観たことのない人に対して「輪るピングドラム」をおすすめする内容ではありません。ネタバレや個人的見解を大いに含んだ内容になっています。ご注意ください。 Amazonで幾原 邦彦, 高橋 慶, 星野 リリィの輪るピングドラム 下。アマゾンならポイント還元本が多数。幾原 邦彦, 高橋 慶, 星野 リリィ作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。また輪るピングドラム 下もアマゾン配送商品なら通常配送無料。 『輪るピングドラム 試運転マニュアル 公式スターティングガイド』幻冬舎、2011年7月。 ISBN 978-4-344-82272-6 。 『輪るピングドラム 公式完全ガイドブック 生存戦略のすべて』幻冬舎〈幻冬舎コミックス〉、2012年3月。 そこで目をつけるのが題名「輪るピングドラム」の「輪る」という言葉。つまり、輪を、円をイメージさせている。そしてこれは、一周したら戻ってくる、ということ。 島田裕巳(2006)『オウムと9.11:日本と世界を変えたテロの悲劇』メディア・ポート. Amazonで幾原 邦彦, 高橋 慶の輪るピングドラム 上。アマゾンならポイント還元本が多数。幾原 邦彦, 高橋 慶作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。また輪るピングドラム 上もアマゾン配送商品なら通常配送無料。 輪るピングドラム12話、「僕たちを巡る輪」。 一周して、第1話と同じ感想まで戻ってきたぜ! 兎にも角にも、ひたすらに伏線をばらまいていた回だったように思う。 それを演出や衝撃展開で工夫し、面白く見せるというそんな回。 結局ピングドラム=りんごっていう認識でええの? 66: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2018/01/21(日) 12:04:40.83 ID:KbBlzmdB0 >>44 ここから推定すると、「愛」の具象化である「苹果(ピングォ)の心臓・鼓動(ドラム)」ではないか。 それが「輪る」とは、愛を貰った人がまた別の人に愛を与えて、次々と順繰りに送られていくこと。 アニメ-輪るピングドラム (2) アニメ-響け!ユーフォニアム (2) 哲学 (8) 哲学-ウィトゲンシュタイン (1) 哲学-デリダ (1) 文学 (26) 文学-やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 (22) 文学-カフカ (1) パチスロ 輪るピングドラムの設置店検索:73店舗,メーカー:北電子,タイプ:5号機 art,備考:super big bonus:最大獲得枚数240枚penguindrum chance:最大獲得枚数78枚art:1セット30g、純増約1.7枚/g ユリ熊嵐1,2話見終わったんでピングドラム見なおしてみたんだけど、 ピングドラム1・2話見事だな 次回を期待させるヒキとキャラの立て方と、飽きさせないための所々のギャグと、「ひょっとしてこれは結構シリアスなお話なのでは」と暗示させるちょっとしたシーンのスパイスと、全てが見事 <贈与>を<贈り物>にして考えてみましょう、プレゼントです。 あなたが誰かから<贈り物>を貰ったとします。そのお返しをしなくてはならないと考えるでしょう。 そして返すものは同等?いえ、感謝の気持ちを込めてそれ以上のものをと考えるのではないでしょうか。 苹果は、被害者と加害者の家族の関係であることを理由に、一度は晶馬から交流を拒まれたものの、改めて晶馬を追いかけていくことを告げる[22][23]。, 一方、特別な存在であった桃果を高倉兄弟の両親に奪われた多蕗は、済んでしまった仕方の無いこととしていた。しかし、自分の前で高倉家への遺恨を露わにしたゆりに先んじて、苹果と陽毬を拉致し、冠葉をおびき出すという行動に出る。高倉家に「罰」を与えるとして冠葉と陽毬を脅すが、ふたりの己が身や命より家族を想う姿を目の当たりにして引き下がり、皆の前から姿を消す[24][25]。, お互いの絆と想いを確かめ合った高倉兄妹と苹果だったが、陽毬を想い続ける冠葉に業を煮やした真砂子が陽毬を急襲したことにより、冠葉と陽毬が高倉家とは血の繋がりがなく、高倉三兄妹は寄せ集めの偽りの家族であったことが露になる[25][26]。 京都大学新聞は、1925年に「京都帝國大學新聞」として誕生した学生新聞で、今年で創刊86年目を迎えました。現役学生・卒業生・教職員・市民など、学内外を問わず広くご愛顧いただいています。 剣山の消息を辿っていた多蕗は、剣山の名札を着けた死体を冠葉の出入りしていた廃屋で発見し、後を追ってきたゆりを庇って、ゆりの情人であった結城に刺されてしまう[27]。そして高倉兄弟は、薬の継続使用による有効性の低下から陽毬の余命がわずかであることを眞悧から宣告される。冠葉は陽毬を救おうとするあまり、眞悧の企みに絡めとられ「企鵝の会」により深入りし、剣山と千江美の嘗ての活動を引き継ぐ計画へと動きだす。そんな冠葉と晶馬は決裂し、陽毬も冠葉を止めようと高倉家を出、高倉兄妹はバラバラになる[27]。, 陽毬は冠葉のために自らの死を受け入れようと倒れて、真砂子も命掛けで冠葉を制止するが、あくまで陽毬を救おうとする冠葉は眞悧とともに世界の破壊へと突き進む[28]。実は16年前の地下鉄事件での主犯であり、今も呪いとして現実に顕現して、改めて世界の破壊を目論む眞悧の懼れるものは、16年前の犯行の完遂を阻んだ桃果の残した運命を乗り換えることの出来る日記と、その妹の苹果であった。ゆりは持っていた運命日記を、多蕗が一命を取り留めた後に苹果に返しており、苹果は陽毬の救命のために日記を使おうとしていた。眞悧は冠葉を差し向けて、分かれていた日記を集め、苹果の眼前で抹消してしまう[29]。, 病院に搬送された陽毬の身柄を目前で冠葉によって奪取され消沈する晶馬に、晶馬と冠葉で運命を変えるようにと桃果の声が届く。晶馬と、眞悧の去り際の言葉を聞いた苹果は、世界の破壊の準備を施した冠葉と眞悧の待ち受ける運命の列車に乗り込んだ。列車で対峙する面々[29]。止めることの出来ない事態に成す術のない晶馬だったが、高倉家での兄妹3人での暮らしを痛みと愛おしみを以って思い辿る陽毬の言葉を聞き、兄妹で愛と罰を分け合おうと、冠葉から分け与えられたものを自身から取り出し、陽毬の手を通して冠葉に与え返す。それは10年前、冠葉と晶馬が向かい合う檻に閉じ込められ食べ物も無く放置され、2人して死に瀕した際に冠葉が晶馬に分けてくれた運命の果実、分け合った半分の林檎、「これがピングドラム」と陽毬が言う。そして苹果は、自分自身を代償にすることを覚悟した上で呪文として思い当たる言葉を叫ぶ。その呪文は、冠葉が晶馬を救ったときに言った言葉、晶馬が陽毬を救ったときに言った言葉、陽毬が友人であるダブルHの2人に、大切な言葉として伝えていたことで苹果が知った言葉「運命の果実を一緒に食べよう」であった[30]。, 運命の乗換えが始り、冠葉は「本当の光」を手に入れたと語り、陽毬の体を列車のシートに運び、砕け散りながら消えていった。苹果の身を包んだ呪いの炎は、苹果を抱きしめた晶馬に移り、苹果に愛を告げて晶馬は消えてしまう。世界の破壊が再び阻まれると、桃果は眞悧に別れを告げ、彼1人を残し、2つのペンギン帽と共にいずこかへと去っていった。運命の乗り換えが終った後の世界の列車の中には、乗客達が騒ぐ中、陽毬と苹果だけが寄り添うように倒れていた[30]。, 運命の乗り換えられた世界では、多蕗とゆりが世界に残された意味を見出し手を取り合っていた。同じ電車で同時に倒れていたことを切っ掛けに友達同士になった陽毬と苹果、健康なマリオと暮らす真砂子に高倉冠葉と晶馬の記憶は無く、彼女たちの生活には、2人は元から存在していないものとなっていた。ただ額の傷やメモ片、夢の中に縁を残すのみだった[30]。, 陽毬と苹果が共に昼食を取っていたこの世界の陽毬の小さな一軒家の前を、冠葉と晶馬の髪色と声をした2人の子供が語らいながら通り過ぎ、その後を4匹のペンギンたちが着いていき、どこかへと歩き去っていった[30]。, 柴田五十鈴によるコミカライズ作品が『コミックバーズ』(幻冬舎)2013年7月号から2017年3月号まで連載された[39]。, 輪るピングドラムDVD/Blu-ray第1巻オーディオコメンタリーによると、キャラクター設定はあったものの、名前だけは設定されておらず、スタッフが幾原に名前を付けてほしいと頼まれ、名付けられた。, 輪るピングドラム | 審査委員会推薦作品 | アニメーション部門 | 第15回 2011年 | 文化庁メディア芸術祭 歴代受賞作品, 輪るピングドラム公式HP 丸の内線再び! 渡瀬眞悧がイラスト付きでわかる! 「輪るピングドラム」の登場人物。 概要 cv:小泉豊 アニメでは第9話『氷の世界』で初登場。 中央図書館・そらの孔分室で司書を務めている青年。 やや癖のある長いピンク色の髪>ピンク髪と赤い瞳>赤眼が特徴的。 口癖は「痺れるねぇ…」。 「輪るピングドラム」 第9話 「氷の世界」 「輪るピングドラム」第9話。 ピンドラ第9話は、第1話を彷彿とさせる謎だらけだけどめちゃ面白い弾けた演出が最高のピンドラが戻って参りました。 2018年8月20日(月), 講評・ワークショップ| 小説版 「輪るピングドラム」 感想 アニメ版との違いの一つに、陽鞠の心理描写が増えてる点がある。 アニメでは、どうしたって兄弟から大事に守られるお姫様という側面が強かった。 運命の果実を一緒に食べようがイラスト付きでわかる! !この記事はネタバレを含みます。! 僕の愛も、君の罰も、すべて分け合うんだ。 プリクリ様が探してこいと申した運命日記に書いてあったもの 運命の列車を乗り換える呪文。 この呪文を唱えると運命の列車を乗り換えることが出来る。 一つ目。 個人的に、本作を経て得られた一番の成果は、東京メトロ・丸の内線への愛着である。 本作で登場する「Tokyo Sky Metro 荻窪線」は、荻窪と池袋の間25駅を結ぶ路線であり、要は現実世界での丸ノ内線である。 この丸ノ内線という路線、改めて路線図を見ると不思議な路線で、荻窪から東に出発したかと思えば、銀座で北上し、いつの間にかまた西に向かって池袋に到着する。 そして、荻窪から池袋に行くのに丸ノ内線 … 宮台真司(2018)『終わりなき日常を生きろ:オウム完全克服マニュアル』筑摩書房. 課題提出締切| つまり『輪るピングドラム』は「不可能性」 = 「現実」に立ち向かうために必要な家族の愛を知らずに育った子どもたちの物語と言える。 またこの「不可能性の時代」について一つ思い付くのは、「ポジションを取れ」という新時代における念仏についてだ。 輪るピングドラム|最新作から名作までアニメをたっぷり楽しめる動画配信サービス!月額1,000円(税抜)で対象の作品が見放題!初回は無料でおためし頂けます。スマートフォン、パソコン、タブレット、テレビで大好きなアニメを楽しもう! 『輪るピングドラム』とは、ブレインズ・ベース 制作によるオリジナル tvアニメーションである。 概要 『 美少女戦士セーラームーン 』『 少女革命ウテナ 』で知られる 幾原邦彦 監督 の12年ぶりの新作とな … 『きっと何者にもなれないお前たちに告げる』 今聞くと胸が苦しくなるフレーズ。意味がピンとこないままの方が、きっと幸せだった。 「何者か」の概念は、単に僕が無知だっただけかもしれませんが、『ピンドラ』放送後、sns文化の成熟に伴い定着していった表現に思えます。 愛による死を受け入れるピングドラムの輪が輪りまくっております。 そして、運命の至る場所行きの列車の運命の乗り換えが発動! そんな運命の乗り換えの中、冠葉と晶馬がカッコイイところを見せます。 結局輪るピングドラムがどういうアニメだったのかというと。冒頭でも言ってた不幸な運命を受け入れようとする真砂子や陽毬やリンゴちゃんを運命に抗おうとする晶馬(傍観者的ではあるが)や冠葉がその運命を変えようとする物語だと思う。 NEWS topics 2011-07-13, Decooとアニメ「輪るピングドラム」がコラボ!!ピングドラムアバターアイテムが登場, スーパーロボット大戦ORIGINAL GENERATION THE ANIMATION, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=輪るピングドラム&oldid=80609960, 『Art of Penguindrum アート オブ ピングドラム』 幻冬舎、2013年5月、, 12月23日(12月24日未明)のTBSでの最終回放映に合わせ、池袋の映画館シネマサンシャイン池袋5番館でオールナイトイベントが開催された。内容は、幾原邦彦監督とキャストの木村昴、木村良平、荒川美穂、三宅麻理恵によるトークや、既放映話のセレクト上映、および、最終回オンエア同時上映など. 『輪るピングドラム』(まわるピングドラム、MAWARU-PENGUINDRUM)は、2011年7月から12月まで毎日放送(MBS)他で放送されたブレインズ・ベース制作の日本のテレビアニメ作品。略称は「ピンドラ」や「ピングドラム」[1]。, 『少女革命ウテナ』を手掛けた幾原邦彦が「家族」をテーマに監督・脚本を担当するオリジナル・アニメ作品である[2]。全24話[3]。原作者「イクニチャウダー」は、幾原を中心とした創作グループ名である。地上波では2011年5月より、前番組『Dororonえん魔くん メ〜ラめら』放送終了後に番組宣伝が流れ始めた[3](TVQ九州放送を除く)後、その枠を引き継ぐ形で放送開始となった。なお、放送開始当初はMBS公式サイトに番組ページが設けられていなかった。, 記号的表現で場面転換に用いられる自動改札機や発車標、それらに加えて無個性なピクトグラムの形で作画されるモブキャラクターが、独特の作風として描き出されている。また、リンゴとペンギンが、多彩な表現によって様々なシーンで描写されている。作中では、『銀河鉄道の夜』がしばしば引用される[4]。, 平成23年度(第15回)文化庁メディア芸術祭アニメーション部門では、審査委員会推薦作品/長編(劇場公開・テレビアニメ・OVA)に選ばれている[5]。, キャッチコピーは「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」、「僕の愛も、君の罰も、すべて分け合うんだ」で、「何者にもなれない」はキーワードである「生存戦略」や「デスティニー(運命)」とともに作中キャラクター達によって度々言及されている[6]。, 兄弟である高倉冠葉と高倉晶馬の妹の陽毬は、病気によって余命わずかとなっていた。兄弟は妹の願いに応え、自分たちにとって想い出の場所である水族館へと出かけるが、そこで陽毬は倒れ、搬送先の病院で息絶えてしまう。覚悟していたこととは言え、ただ悲嘆に暮れるばかりの兄弟だったが、彼らの目の前で突然、水族館で買ったペンギン型の帽子を被った姿で「生存戦略!」の掛け声と共に陽毬は蘇生した。ペンギン帽子を被っている間に限っては、陽毬は、別人格「プリンセス・オブ・ザ・クリスタル」に変わる状態になっていた。そしてプリンセスは、陽毬を助けたければ、ピングドラムを手に入れろと兄弟に命じる。彼らに添い従う3羽のペンギンを与えられた兄弟は、プリンセスからの指令で女子高校生・荻野目苹果の調査を開始するが、それは過去にも繋がるTSM荻窪線沿線で起きる様々な事件の始まりとなった[7]。, 苹果は、姉・桃果が亡くなった日に生まれてきた少女だった。亡き姉としての存在になることを自らに課している苹果は、姉が遺した日記帳である「運命日記」に従って、姉の想い人であった多蕗桂樹と結ばれるためのプロジェクトMを遂行すべく、彼をストーキングしていた[8]。高倉兄弟が陽毬に内緒で調査を進めている間、陽毬が偶然出会った苹果と仲良くなったことで[9]、高倉家と苹果は互いの事情を知り、プロジェクトMへの協力と引き換えに日記を渡す約束を交わし、晶馬と行動を共にすることとなった[10][11]。しかし、苹果のプロジェクトMは、桂樹と女優・時籠ゆりの婚約で行き詰まったあげく、何者かに日記の半分を奪われてしまう[12][13][14]。, さらに、高倉家を守りたいと願う冠葉が家族の存続に必要な大金を調達すべく執っていた独自の行動は、冠葉自身と、弟のマリオのために苹果の日記をも狙う少女・夏芽真砂子と交錯したあげく、苹果は真砂子に人質に取られた晶馬と引き換えに、真砂子に残った日記の半分を差し出してしまうことになった[15][16]。, そして、日記を失い、プロジェクトMと桃果になることへの執着が消えた苹果は晶馬への想いに気付くが、プリンセスが設けたイリュージョンの場で、桃果の死の原因である16年前の事件は高倉三兄妹の両親である高倉剣山と千江美の所属する組織「ピングフォース(企鵝の会)」が起こしたのだという事実を晶馬から告げられてしまう[17]。その直後にプリンセスは「闇ウサギ」に関する警告を言い残して力尽き、陽毬はまたしても息を引き取ってしまうが、謎の男性・渡瀬眞悧は、冠葉に代償を要求の上で、薬で陽毬を蘇生させると共に現実世界での動きを表面化させ、陽毬に接近する[18][19]。, 実は、苹果から日記の半分を奪取したのは多蕗と結婚した時籠ゆりであった。亡き桃果の幼馴染であり、彼女への思慕を現在も持ち続けているゆりは、桃果を「こちらの世界に取り戻す」ために苹果の日記を手に入れようとしていた。そのため、日記の残りを巡って真砂子とゆりは度々争うこととなった[20][21]。 物語開始時点では少なくともピングドラムを所有していたらしい。 視聴者における、「序盤の印象」と「終盤の印象」が恐らく一番大きく変化する人物の一人であろう。 そのピングドラムのやり取りは、ふたりの間だけで完結するようなもの(一対一の恋愛みたいな)ではなく、冠葉→晶馬→陽毬と手渡されて、最後にまた冠葉に返されるという感じで、ぐるぐる回ってるから「輪(まわ)るピングドラム」なのだろう。